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「自由」という諸刃の剣

高校入学直後、担任をはじめとする教師達はいたいけな少年少女に早くも進路の決定を迫り、地元柄(秋田)東北大を目指すのが無難だという教義を振りかざしていたように思います。旧帝大に進学することが正義であるかのような画一化された風潮の中で、そうした権威主義に抗いたいという青い考えで、自由の象徴に思えた芸大を志望しました。楽理科を選択した理由を端的に言えば、僕が他科に合格できるような一芸を持ってはいなかったからです。

入学後に履修した楽理科の専修科目に関しては、先生によって趣が異なるので一概には言えませんが、予想を凌駕する高難度、高重量の文献の読解とそれに関する発表を求められることもあります。共通して言えることは、音楽学研究の第一線で活躍されている魅力的な先生方の下で学ぶことができるということであり、それは僕が思う楽理科の唯一にして最大の利点です。

当初は楽理科のお家芸である音楽学に邁進する気はなく、田舎者が抱きがちな甘ったるい夢と言う名の幻想の中にいました。しかし二週間も経つと自分の現存在の危うさを自覚し、将来についての思考に沈潜するようになり、自己実現のための道程の果てしなさに今も悩む時があります。音楽学や哲学の研究者を目指していた時期もありましたが、2025年問題へ向かって歩みを進める日本においては大学経営も厳しさを増し、アカデミックポストは減少する一方なのであまり夢見がちなことも言っていられないのが現状です。そうは言いつつ、このままだと確実にモラトリアム延長することになりそうな僕が一つ確信を持って言えることは、本来は「研究機関」である大学に来た以上、真面目に授業に出て、できるだけ一生懸命勉強するしかないということです。世間からは隔絶された環境で、世間との乖離が甚だしい芸術に従事しているためか、楽理科ないしは芸大自体、良くも悪くも雰囲気が緩く、そんな中で可能性を生かすも殺すも全て自己責任だということを痛感しています。自由を求め続ける人生にはお金がかかりますが、両親への感謝の気持ちを忘れず「なんとかなる精神」で限界まで大学で勉強し続けることが今の切なる願いです。