東京藝術大学入試情報サイト > 齋藤 圭一郎

「彫刻」、そんなふた文字に憧れがあり彫刻科を選びました。そもそもは高校を辞めたくて、辞めて何をやるのかと親に問われたとき苦し紛れに出てきたのが美術でした。逃げるために始めたのですが、いざやってみるとよくわかりません。彫刻というと漠然と山奥で木や石を掘っている、それももちろん違わないのですが、今日では何故か既製品、映像、文章など様々なものが彫刻になってしまう。当時、漠然と憧れていたのは寡黙に木などを彫っている彫刻家像でいま私がやっていることとは全く違うことです。なんなのでしょうか、素材と行為、そして言葉いろんなものが絡み合ってできる何か、そんなものを彫刻というのかも知れません。ただ最近思うことは何かをポージングさせることが彫刻だったのではないかと思います。勿論、最近では動く彫刻も見受けられますが、動かないという前提があったからからこそ新しさを感じるのではないでしょうか。動かないものを使って観る人を動かそうとする、そんな工夫を彫刻には感じます。

と、こんなことを考えるとは大学に入学する以前は考えもしませんでした。もっと単純にいい彫刻を作っていく、そんな純朴な時間とそこからの断絶は長らく付き合った彼女に突然振られるようなショックに近いものがありましたが、今でもグズグズと付き合っていくような気がしてならないのはやはり「彫刻」の二文字に焦がれてしまったせいであると思います。そして、この大学にはまだ彫刻というものがあります。それは伝統的に受け継がれてきたもので、学部1、2年で行う実材実習というもので体感することができます。木、石、金属、塑像などをあまり電気工具に頼らず手作業で基本的なことを学んだり、3年になったいまでは、そこから様々なテーマ、手法、素材を自分で選び製作していきます。

私は藝大に入学する以前は武蔵野美術大学に在学していました。そこで入学早々、教授から言われた一言は「彫刻は一度終わっている。」ということでした。今後はそんな一度終わった彫刻とこれからの彫刻のことを考えていこうと思います。