東京藝術大学入試情報サイト > 金沢 青児
随分と回り道の多かった藝大生活でした。高校生の時に作曲家になろうと決心し、一浪までして作曲科に入学したものの、だんだんと楽譜を書くことに苦痛を感じるようになり、半ば逃げるように声楽の道へと進路変更しました。この大学では指揮科へ転科する場合を除いて、在学途中で楽器・専攻を変更することは認められていないため(音楽学部規則第4条)、再度入学試験に合格し1年生からやり直すほかに方法はなく、今になってみれば何と大胆な選択をしたのだろうと思います。結局大学院も含めると、藝大には都合11年間もお世話になってしまいました。
私が声楽を志すことになった動機として、何をおいてもバッハカンタータクラブでの活動を抜きにしては語れません。バッハの遺した200曲近くに及ぶカンタータを演奏するために、多様な専攻の藝大生が集まるこのサークルで、演奏家に必要な基礎を叩き込まれたと言っても過言ではありません。それまで、器楽曲しかまともにバッハの作品を知らなかった私は、カンタータの世界に一瞬にして魅せられ、また合唱する喜びにはまっていきました。やがてもっと歌のことを知りたい、クラブの先輩たちのようにカンタータの演奏至難なアリアを歌えるようになりたいという思いは強くなり、大学に入り直して一から声楽を学ぶことへの迷いはほとんど消えていたように憶えています。晴れて声楽科となってからは、オペラやドイツリート、フランス歌曲といった歌手の基本的なレパートリーも勉強しました。大学院での2年間は、指導教員の勧めもありブリテンの声楽曲を主たる研究テーマに選びましたが、やはりその間も自分のそばには常にバッハの音楽がいたと思えるのです。
今後は作曲科で学んだ経験を活かし、現代音楽にも活動の幅を広げたいと考えております。テノールのために書かれた現代声楽曲は、ソプラノなどに比べると充実しているとは言い難く、逆に言えばこれから開拓の余地がまだ残されているということでもあります。幸い現代には新しい視点を持った作曲家に恵まれています。委嘱活動も含め、新たなレパートリーを創造することを少しずつ実現していくことを目指しています。