東京藝術大学入試情報サイト > 荒川 弘憲

1,先端芸術表現科(以下「先端」)に志望したのは、なにをするのかあまり分からないのが安心したからだ。もちろん、美術をしたいと思ってた。なぜ安心したのだろう。感覚を形にしたり、その逆でいままでになかった感覚を誘う美術がすきだった。だから詩も絵も壺も景色もへだてることなくいい。
色々みてるうちに気づいたことがある。それは言葉や色といった異なるものも、それを知覚するとムードになってしまうことだ。だから極論、ある詩の「。」とある緑の線に感じるムードは同じということもありえてしまう。
気になるのはそのムード。表現媒体を制限することは難しかった。だから多様な表現方法を渉猟するのをうたう先端が安心できたんだと思う。

2,自分の経験から学生生活のことをすこし。
先端の必修の座学では作家やキュレーター、哲学者などが先生で、ふだんきけない話をしてくれると思う。全部は理解できないにしてもその茫洋とした話に浸るのは得難い体験だ。これは一種のリハビリだった。こりかたまった自分の魂がほぐれてどんな言葉に感応するのかに気づけるし、表現したいことの遠くがみえるような気がしてくる。
学年が上がってくると学内の友人や知り合いの得意なことが徐々にはっきりしてくる。時間にも余裕ができてきて、この環境のなかでどのように動けるのか動けないのかがわかってくると同時に、自分がなにをしたいのか想像力がうずきだす。

3,卒業後は先端の修士課程に進学する。嗅覚をとぎすまして、頭と身体をいい塩梅でつかいながらやっていきたい。

(2021.05)

Standing Rods(2018)