東京藝術大学入試情報サイト > 渡邊 健悟
大学院という選択の意味
私は今まで大学で、映画監督として製作を行なってきた。
本来ならば、そのまま現場へと飛び出し我武者羅に修行をしていくのが筋だ。
そう、学校とは真の意味で映画を学ぶ場所では無いと考える。
藝大の映画専攻に身を置きながらの発言とは思えないだろうが、言い訳は聞いて欲しい。
私は迷っていたからここへ来たのである。
映画を監督として製作していたが、学生映画という性質上、自身で脚本や編集、私の場合は音楽も担当していた。
その中で一際に面白味を感じたのが、プロデューサーという立場だ。
元来交渉ごとや関係作りが得意であった私には、映画においてその力が遺憾なく発揮できる正に天職だと悟ったのである。
しかし、プロデューサーと名刺に記載する人間は数多く存在する。
それほどまでに仕事は多岐にわたり、行う作業や所属する会社など様々だ。
その中で私は「映画をつくる」プロデューサーとは、と悩んでいた。
たとえばテレビ局に就職して、理想のものづくりは出来るのだろうか。
映画監督になる道、編集マンになる道、それぞれは周りを見渡せばなんとなく分かる。
だが、プロデューサーになる道だけは見えてこなかった。
そこで、私の中で理想とするものづくりを体現する桝井省志氏が教鞭を執る本校へ、答えを求めて迷い込んだ次第なのだ。
入学してみれば、そこには将来に確信を持つ者もなく、皆平等に迷っていた。
映画が好きというただそれだけで、後はどう生きようなんて分かっていない。
そんなある種アナーキストの集まりが作り出す映画はなんとも面白い。
そしてここには様々な出会いがある。
各領域の教授や、映画関係者。男女だってそうかもしれない。
私の場合、研修で赴いたパリでの学生との出会いはその後、彼らとの共同製作に繋がり、また韓国では、日仏韓共同製作で私の監督作品を製作するに至る。
映画は共通言語だ。
専門領域や国境、人種を超えて互いを理解し一本の映画が出来上がるこの奇跡を、それを垣間見ることのできる貴重な2年間を、大切にしよう。
起業を目標に、そんなことを考えている。
プロフィール
1992年、静岡に生まれ浦和に育つ。
日本大学藝術学部映画学科で製作した映画「生の感触」が水戸短編映像祭などに出品され、
中国で開催されたアジア国際青少年映画祭で優秀作品賞を受賞。
バンド等の経験から、様々な視野からの映画プロデュースを行なっている。